宇宙人母が伝える楽しい地球の歩き方

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おじいちゃんの本屋さん

こんにちは。宇宙人母KAYOです。

昔のことを想い出すままつづる「想い出いったりきたりシリーズ」です。

 

今日は、子どもの頃の、絵本に関する思い出話を書きます。

 

わたしが小さかったころ、家には絵本がいっぱいありました。

 

福音館書店の「こどものとも」「かがくのとも」を定期購読していたほか、「ロボット・カミイ」や「ちいさいモモちゃん」などの物語絵本や、エーリッヒ・ケストナーやローラ・インガルス・ワイルダーなどの文庫本もたくさんありました。

 

わたしは岐阜の田舎に住んでいて、本屋も近所にはありませんでした。

 

近所の友だちの家には、子ども向けの本は雑誌やマンガくらいしかないという状況もめずらしくありませんでした。

 

「そんな時代に、なぜうちにはあんなにたくさんの良質な子ども向けの本があったのだろう?」

と、大きくなってから不思議に思って、母にたずねたことがありました。

 

すると母は、

「だって、わたしは本屋の娘だったもの。目が肥えてたのよ」

と、さらっと言いました。

 

そう、わたしの祖父母は、愛知県の知多半島の寺本(てらもと)というところで、「早川書店」という本屋さんを営んでいました。

 

祖父は、小学校の先生をしていて、校長先生にまでなったそうですが、戦後、家族を養うために、本屋さんを始めたのです。

 

母がその頃のことを話してくれたことがありました。

 

「あのころ、小学校に本を配達もしていたんだけど、自分が校長先生をしていた小学校に、本を届けに行くのは、いやだっただろうなぁと思う。

でも、家族のために文句も言わず、がんばってくれたのよね・・・」

 

母方の祖父はいかにも「まじめな先生」といった風貌の人でした。

そんな祖父が、自転車をこいで、かつての自分が校長をしていた小学校に本を配達する姿を想像したら、なんだかせつなくなってしまいました。

 

母はお兄さんが7人、弟が1人という8人きょうだいだったため、お正月に祖父母宅に親戚一同が集まると、大人も子どもも大勢いて、それはそれはにぎやか。


でも小さい頃のわたしは、そのにぎやかさがちょっと苦手でした。

 

こっそり母屋をぬけだして、本屋にこもって、ひとりで本を読みふけっていました。

 

大人向けの本のコーナー(あのころ、ビニ本と言っていたやつ)には、めっちゃ興味はありましたが、恥ずかしくて、とても近づけませんでした。

 

(いや、正直言うと、誰もお店にいないとき、ちょっとページをめくってみたことも(#^.^#))

 

少女雑誌「りぼん」や「なかよし」の余った付録をもらえることもありました。

 

本屋さんの建物は、わりと大きな平屋で、昔ながらの瓦屋根に、開けるとガラガラと音がするガラス引き戸。

 

照明は少し薄暗く、本屋の一角が畳敷きの小さなお部屋になっていて、そこにレジがあり、奥にはこたつとテレビもありました。

 

「書店」というより、「町の本屋さん」というのがぴったりでした。

 

祖父母は遠い昔に他界し、おじいちゃんの本屋さんも取り壊されて、なくなってしまいました。

でも、わたしの心のなかには、今でも「早川書店」の光景がしっかり残っています。

 

わたしが本好きなのは、早川書店のおかげかもしれません。

おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。

 

 

 

 

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