宇宙人母が伝える楽しい地球の歩き方

宇宙人母KAYOがプロデュースする楽しいイベントのお知らせや、地球ライフを楽しくするヒントを書いています。

売木村山村留学レポート1

こんにちは。宇宙人母KAYOです。

 

わたしの次男(小6)は、今年の4月4日から、長野県の売木村(うるぎむら)というところに山村留学に行っています。

今日は、山村留学に行くことになったきっかけや、山村留学センターでの入園式の日のことを書こうと思います。

 

山村留学をすすめたきっかけ

わたしが初めて山村留学のことを知ったのは、数年前に読んだ新聞記事でした。

 

山村留学とは、子どもが親元はなれて長野などの山村地域で合宿生活したり、農家にホームステイしたりしながら地元の学校に通うという制度。

 

そのときは、

「ふうん、こんな制度があるんだ」

くらいの意識でした。

 

その後、長男が小学5年生のころ、「育てる会」という団体の冬季短期キャンプに参加しました。

(そのころ、夏休みや冬休みに長男をキャンプに送り出すことが多かったのです)

 

この「育てる会」は、山村留学のパイオニア。

昭和43年から長野県を中心に山村留学を続けています。

 

www.sodateru.or.jp

 

短期キャンプから帰ってきた長男に

「あなたも山村留学に行ってみる?」

と聞いたら、

「行かない」

と、即答。

 

「この子、インドア派だしなー」

と思いましたが、わたしも子どもと離れるのはさびしいので、ちょっとホッとして山村留学のことはずっと忘れていました。

 

そして、その後、次男が小学五年生になったとき。

 

それまでは学校から帰ってくるとすぐに

「遊びに行ってくる!」

と、友だちの家に飛び出していっていたのに、秋頃から、家でウツウツとゲームをしている時間がふえました。

 

お友達と遊べなくなったのは、仲がよかったお友達が習い事を始めたり、タイミングが合わなかったりと、いろんな理由はあったようです。

 

でも、次男は、自分から友だちを遊びに誘うのは苦手なようで、学校から帰ると、家でひとりゲームをカチャカチャいじっていました。

 

「つまんない」

を繰り返す次男に対して、卓球につきあったりもしていました。

 

でも、わたしも自分の仕事があるし、いつも親が相手するのもなんだかなぁ、と思っていました。

そんなときに思い出したのが山村留学のことです。

 

退屈そうな次男に、

「ねぇ、山村留学に行ってみない?」

と聞くと

「なにそれ?」

と興味のある様子。

 

さっそく、ネットで山村留学のパンフレットを数カ所から取り寄せました。

その中でも、我が家から車で3時間半ほどで行けて、ランニングや和太鼓など活動の内容も充実している売木村の山村留学が次男は気に入った様子で、

「オレ、ここ、行きたい!」

と目を輝かせました。

 

その様子を見て、わたしも、このウツウツとした状況、ゲームのカチャカチャ音にイライラする毎日から解放されるかも、と少し気が楽になりました。

そこで、12月の体験入学に申込みをしたのです。

 

いざ、山村留学体験へ

しかし、体験入学が近づいてくるにつれ、次男は、またお友達と遊べる時間がふえてきました。

学校から帰ると

「遊びに行ってくる!」

と元気に飛び出していきます。

 

それを見ていたら、

「あらまぁ、こんなに楽しそうなら山村留学はもう行かなくてもいいかな」

という気持ちになってきました。

 

でも、せっかく申し込んだし、山村留学ってどんな感じか見てみたい。

 

「長野への家族旅行もかねて行ってみようよ」

と、次男、夫、わたし、長女の4人で売木村での体験入学に出発しました。

 

売木村は、長野県でもかなり南の方にあります。

体験入学には関東や関西から集まった10組以上の親子が参加していました。

 

1日目は山村留学センターでの合宿生活を体験します。

炭焼きをしたり食事の配膳をしたり掃除をしたり。

 

次男は、ふだん家ではほとんどお手伝いをしないのですが。センターでは、学園生の子たちの指導を受けながらいっしょうけんめい動いていました。

そして次男は、好き嫌いがとても多くて食べられない野菜が多いのですが、学園生の子たちに

「残さず、がんばって食べよう」

とはげまされて、涙目になりながら食べていました。

 

その様子を見て、

「うわー、けっこうスパルタだなぁ。

きっとこの子、『山村留学、行かない』って言うだろうな」

と、わたしは思っていました。

 

そして、センターに一泊して次の日は、売木村の学校に体験入学。

センターから学校まで3キロ近い道を歩きます。

 

わたしもいっしょに歩いてみました。

けっこう距離はありましたが、次男は、走るのが好きなのでこの通学は平気な様子。

 

売木村の小学校・中学校は校舎がいっしょになった「売木村小中学校」です。

小中学校ぜんぶ合わせて50人足らずというコンパクトな学校。

クラスの雰囲気も少人数のためとてもアットホーム。

 

給食は、全校生徒と先生がいっしょにランチルームで食べます。

和気あいあいとみんなが給食を食べる様子に

「楽しそうだなぁ」

と、うらやましくなりました。

給食を食べたところで、体験入学のプログラムは終わりになりました。

 

「オレ、行く!」

 「いい学校だったなぁ。

でも、もう、ここに来ることもないだろうな」

なんて思いながら、帰り道、次男に

「どうだった?」

と聞くと、

「学校、すごく楽しかった!オレ、あの学校に行きたい!!」

と、いきおいよく答えるではありませんか。

 

次男は、それまで小学校に対して

「つまんない」とぼやくことが多く、

「中学も行きたくないなぁ・・・」

と希望を持てない様子だったのです。

 

そんな次男が

「あの学校行きたい!」

と、目をキラキラさせて語る様子におどろきました。

 

「でも、センターでの食事は、食べられないものが多くてタイヘンそうだったよね」

とわたしが言うと、次男は少し考えて、

「うーん。でも、がんばる。

オレ、山村留学、行く!」

という返事。

 

てっきり

「行かない」

という返事がかえってくると思い込んでいたので、

「ええー!行っちゃうの!?」

と、びっくり。

 

山村留学を彼にすすめたのはわたしですが、急にオタオタ。

 

夫に

「どうする!?」

と聞くと、彼もちょっと戸惑いつつ、

「うん、本人が行きたいって言ってるんだから」

という返事。

 

次男に、

「地元の友だちと離れるのはさびしくないの?」

と聞くと、

「1年で帰ってくるし。

それに、他の小学校も行ってみたかったから」

という返事。

(たしかに、次男はずっと前から「うちは、引っ越さないの?」と、よく言っていました)

 

帰宅後も次男の意思が変わらないのを確認してから、面接を申し込みました。

そして、そのときから好き嫌いをなくそうと家でも努力を始めました。

 

しかし、努力のかいむなしく、次男は、苦手な野菜を口に入れると

「うぇーっ」

と、吐き出してしまう始末。

 

「こんなんで大丈夫か?」

と思いながら、2月の面接の日を迎えました。

 

そして、面接結果が

 次男は、ちょうど面接のころ風邪をひいてしまいました。

(精神的なプレッシャーもあったのだと思います)

 

面接は、親子別々に受けたのですが、次男は面接で、好き嫌いのこともかなり聞かれた様子。

面接の部屋から出てきたときはフラフラしていました。

 

山村留学でやりたいことを作文に書く時間もあったのですが、次男はウンウン考えて、結局、原稿用紙半分くらいしか埋まりませんでした。

 

「面接、おちるかも・・・」

と、帰り道、親子で話しながら、

「まぁ、ここまでやって落ちたら落ちたであきらめがつくよね」

と思っていました。

 

そして、一週間後。

「入園を許可します」と、自宅に合格通知が届きました。

 

「うわー、合格しちゃった!」

と、うれしいようなさびしいような。

 

地元の小学校に転校の連絡をして、少しずつ、山村留学の準備が始まりました。

 

センターに持っていく服や、レインコートや長靴などの野外活動用グッズ、布団などを買い揃えていきました。

その準備をしながら、長男が家を巣立っていったときのことを思い出しました。

 

長男は、中学卒業後全寮制の学校に進学したので15歳でひとりだちしました。

全寮制の学校に進む決意をしたのも、短期キャンプなどで家をはなれることに慣れていたせいかもしれません。

 

あのときは、

「15歳で行っちゃうんだねぇ」

と、巣立ちの早さを頼もしくもさびしく思っていましたが、次男は、なんと11歳で行ってしまうとは。

 

出発の前の日は

「夕ごはん、あなたの好きなものを作ってあげる。何がいい?」

と次男に聞くと

「ピザ!かーちゃんの作るピザがいちばんおいしい!」

という、うれしいリクエスト。

 

はりきって作ったのですが、水の分量をまちがえたのか、イマイチな生地のしあがりに。

 

「うーん、ちがう・・・」

と、不満げな表情の次男に、

「ごめん!

今度はちゃんとおいしいピザを作るから早くおうちに帰ってきてね」

と、あやまりました。

 

いよいよ、旅立ちの日

そして、とうとう出発の日(4月4日)の朝。

 

長女は、高校の入学式をひかえていて、プレ登校プログラムがあったため、夫のお母さんにうちに来てもらってお留守番することになっていました。

 

しかし、出発のときになっても、長女はずっとゲームをしていました。

「ほら、もう次男が行っちゃうよ。

行ってらっしゃいは?」

と言うと、長女は淡々と

「行ってらっしゃい」

とだけ言って、また、ゲームの画面に視線を落としていました。

 

出発後、車の中で、わたしは夫に言いました。

 

「あの子は、さびしくないのかなぁ。

卒業式の日も、担任の先生は号泣してたけど、あの子は、淡々としてたよね。

あの子には、別れを悲しむといった感覚が、うすいのかなぁ」

 

そう言いながら、わたしは、思い出したことがありました。

 

夫のお父さんは、昨年11月に他界しました。

お葬式のとき、次男はワンワン大泣きでしたが、長女は泣かずに、ただ静かに参列していました。

 

長女はおじいちゃんとはそれほどたくさん交流があったわけではないので、そんなに悲しくないのかなぁ、と思っていました。

 

でも、今年の3月に夫の実家を訪ねたときのことです。

 

夜、おばあちゃんとうちの家族で外食に行くことになったのですが、おばあちゃんは、玄関で仏壇のおじいちゃんの写真を見ながら

「おじいちゃんは、いつもお留守番ね」

と、さみしそうに言いました。

 

すると長女は、

「いつもそばにいるって思えばいいじゃない。

おじいちゃんは、いつも見守ってくれてるよ」

と言ったのです。

 

それを聞いたおばあちゃんは、

「そうね。ほんとにそうね」

と、パッと顔が明るくなりました。

 

長野への車中でそのときのことを思い出しながら、

「あぁ、そうか」

と思いました。

 

きっと、長女は、「離れていても、つながっている」ということを感覚的にわかっているのです。

だから、お葬式でも、卒業式でも、弟の巣立ちでも、彼女はさびしくなかったのでしょう。

 

そうだ、次男とは、住む場所は遠くに離れてしまうけど、いつだって心はつながっている。

長女の姿がそれを教えてくれたようで、なんだか元気が出てきました。

 

声が出ない!

しかし、わたしは、売木村への道すがら、数日前から続いていた喉の痛みがどんどんひどくなってきました。

そしてとうとう、かすれ声しか出ない状態になってしまいました。

精神的にけっこうストレスがかかっていたのでしょうか。

 

そして、とうとう山村留学センターに到着。

今年の山村留学生は小学生8名、中学生3名の合計11名。

うち3名は前年度からの継続生です。

 

服はこのロッカー、長靴はこの下駄箱、など置き場所を確認しながら荷物整理をしていきました。 

 

「ほら、自分でちゃんと片付けなさい」

って言いながら、ついあれこれやってしまうわたし。

 

「あなたは、今日からここで暮らすんだね・・・」

としみじみ。

その後、山村留学センターへの入園式がありました。

売木村の村長さんや村会議員のみなさん、小中学校の校長先生、育てる会の方々など来賓も大勢いて、セレモニーの雰囲気です。

 

次男は、入園式には立派に参加していましたが、式が終わると、急に 心細くなってきたのか、わたしのところに来てヒックヒックと泣き出してしまいました。

 

つられてわたしの目からも涙が。

でも、ぐっとこらえて、

「不安なんだね。

おとうさんとおかあさん、明日までいるからね。

がんばろうね」

と背中をトントンすると、少し落ち着いた様子。

 

夕食のときは野菜がたくさん出ました。

 

「食べられないと思うときは、箸をつける前に減らしてもらってね」

と、指導員の方に言われたので

「あ、減らしてもらえるなら大丈夫かな」

と思ったのですが、次男は、やはりぜんぶ食べるのには苦労していました。

 

それでも涙ぐみながら残さず食べようとしている様子に、遠くの席から

「ガンバレー」

と、心の中でエールを送りました。

 

わたし自身も苦手で食べられないものがあるので、次男の好き嫌いに対して口うるさくは言ってきませんでした。

さらに、イマドキの小学校は好き嫌いについてきびしくは指導しません。

だから、地元にいれば食べ物の好き嫌いで苦労することはそれほどなかったでしょう。う。

 

でも、次男は、ここで暮らすことを選んだ。

泣くのをこらえながら野菜をモグモグする次男を見て、彼の挑戦は、本当にスゴイことだと思いました。

 

子どもたちはすでにセンターでの生活が始まっているので、夜ねるときも、親子別々です。

 

夜は、親同士の懇親会が開かれましたが、わたしは声がほとんど出ないため、ほぼ聞いているだけ。

それでも、昨年から継続して山村留学している子たちのお母さんたちが

「ここは、本当にいいところよ」

と熱く語るのを聞いてホッとしました。

 

今日から売木小6年生

そして次の日の朝は5時半に起床し、ラジオ体操。

ヤギの世話、掃除など各自の担当の仕事をして朝食です。

 

次男は、朝食の野菜のおかずも最初に減らしてもらい、泣きそうになりながら最後は、とうとうぜんぶ食べ終わりました。

遠くから見ていてその表情がとてもりりしく見えました。

食べ終わると食器を洗ってすぐに学校に向けて出発です。

 

大人は車で行ってもよかったのですが、わたしも夫も子ども達の後を歩いていきました。

 

センターから小学校まで歩いて30分ほど。

地元の小学校は自宅から歩いて徒歩8分ほどだったので約4倍の距離です。

この道を毎日歩いて通ったらずいぶん脚力がつきそうです。

 

おまけに、売木村には村専属のランナー重見高好選手が住んでいて、毎週、子ども達をランニング指導してくれるのです。

小さな村のウルトラランナー 重見高好の挑戦

小さな村のウルトラランナー 重見高好の挑戦

 

小さい頃から走るのが大好きだった次男。

売木の村の中をびゅんびゅん走る次男の姿が見られるのもすぐでしょう。

 

そして、売木小中学校に到着。

 

まずは、先生たちにごあいさつ。

学校の先生方も、山村留学生をとても大切に思っているのが伝わってきました。

 

次男の6年生のクラスは全員で9名、そのうち山村留学生は3名です。

次男は、幼稚園の頃からクラスではとてもおとなしくて、発表も積極的にするタイプではありませんでした。

そのため、担任の先生から

「もっと自分を出せるといいですね」

と、何度も言われてきました。

 

でも、この少人数クラスでは、自分を出さざるを得ませんね。

積極的になりそうです。

 

この日の日課の終了後、短時間でしたが担任の先生と面談をする時間もありました。

お話をしながら、

「あぁ、この先生ならきっと、次男のいいところを引き出してくれる」

と、確信しました。

 

いよいよお別れ

学校が終わった後は、いったんセンターにもどって事務連絡を聞いた後、とうとうお別れです。 

 

次男の前日の様子から泣いてしまうかと思ったのですが、彼は、ふっきれたのかスッキリした表情になっていました。

1日でずいぶん成長したみたい。

 

 

そして、あいかわらずのわたしの超ハスキーな声を聞いて

「かーちゃん、声が出なくなっちゃったねぇ」

と、次男。

 

そうか、わたしは、あなたに、お別れを言うのがいやで声を出なくしちゃったのかもね。

 

「今度くるときまでには、声が出るようになってるからね」

と、ほとんど息しか出ない声で伝えると、次男は、コクン、とうなずきました。

 

そして次男をぎゅっとハグすると、ちょっと照れくさそうにして、ひゅるっとわたしの腕をぬけて自分たちの部屋に行ってしまいました。

 

「どうぞ、よろしくお願いいたします」

と、センター長さんにあいさつをして、夫とふたり、帰途につきました。

 

帰り道、次男が赤ちゃんだった頃のことから、いろんなことが思い出されました。

 

もう、キライなものがあっても、かわりに食べてあげられないよ。

さびしくて泣いても、ぎゅうってしてあげられないよ。

忘れ物があっても、学校に届けてあげられないよ。

 

でも、かあちゃんは遠くでいつも応援しているからね。

いっしょに成長していこうね!

 

すぐ近くにいないのはさびしいけど、今度会う時、どんな表情を見せてくれるか楽しみです。

 

「少しさびしいけれどがんばります」

センターへの入園式から10日ほどして、次男からハガキが届きました。

作文が超苦手だったのに、がんばっていっぱい書いてくれました。

 

 

苦手なきのこも食べられるようになったんだね。

かーちゃんも、苦手なしいたけ食べられるように がんばるよ!

今後も随時、山村留学レポートします。

 

続きはこちら

www.kihiru777.net